半歩踏み込むアニメ批評!

なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

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『魔法少女まどか★マギカ』の感想・批評・レビュー

視聴アニメ一覧

『魔法少女まどか☆マギカ』
http://p.tl/K9Qp
監督:新房昭之
脚本:虚淵玄

madoka.jpg
http://www.madoka-magica.com/


『魔法少女まどか☆マギカ』って知ってる?
   何それ、知らないよ~。漫画とかアニメでしょ?
うん、アニメなんだけど、いかにもってネーミングじゃん、
セーラームーン的な、王道少女アニメっぽいでしょ?
でも、違うんだよ、これはやばいよ。
   へえ~、さすがに興味ないな~、
   そんなの見てんの?

毎週欠かさずね!
興味ないっていうけど……実はさ



こういう感じで、『魔法少女まどか☆マギカ』について語る勇者がいてもいいですね。
そして、彼は熱弁をふるうのです。
いかに、この作品が面白いか!

この作品の面白さ、というのは特殊で、人によって大きく変わるように感じています。
つまり、『トトロ』なんかがみんなに愛されたのとは違って、
『まどマギ』は、愛されたり愛されなかったりするのではないか、ということです。

なぜなら、このアニメをうまく理解してもうには、
「魔法少女もの」という一つの概念を念頭に視聴してもらわなければならないからです。
ウィキを見れば、監督がそれを意識した、という発言が取り上げられています。

そう、『まどマギ』は、あえてそのようにつくられたものなのです。
いわゆる「魔法少女もの」であれば、
 ヒロインは大活躍?
 友情は無敵?
 恋愛は美しい?
 仲間は不死身?
 犠牲は報われるの?
 誰にも分かりやすい目的があるの?
 ハッピーエンド?

この「魔法少女もの」からの逸脱を背負うのが「美樹さやか」です。
といったら語弊がありますね、徹底的に全員が全員逸脱させられてますから。
全員というのは、もちろんあと「鹿目まどか」「暁美ほむら」「巴マミ」「佐倉杏子」ですよ。
でも、「さやか」ほど分かりやすくはないですね。
「さやか」が背負わされる役割はこのようなものでしょう。

希望に燃えて魔法少女は、ネガティブな影響を振りまく魔女を倒す。
魔法を使うのだから周りはそれを知らない。
褒められることにもなく、苦しみを理解されることもない。
いつしか、彼女は気付く。
できることは、食い止めることだけで、
食い止めただけでは、漠然と思い描いた希望は実現されやしないと。
希望に対してできるのは願うことだけ、だったのに、願いは裏切られる。
そう彼女は解してしまう。そして恨む。ついに魔女になる。倒される。

こういった筋書きを追うのが「さやか」です。
これはなかなか救われない物語です(まどかが魔法少女になるまでは)。
とはいえ、確かにこれはこれで物語です。
さあ、これは面白いのか否か。

これまで、アニメをたくさん見てきた大きなお友達は、
その年齢に見合った分析力を持つので、
「魔法少女もの」という抽象的概念が脳内にできあがっているに違いありません。

となると、「さやか」の物語は、
ひろがっていくにつれて、
「えっ……、まじで……。まじでどうにもならんの!?」
というような具合に、絶句と驚きを以て迎えられることでしょう。

「さやか」に言わせれば、
「そのときの君の顔ったらもう……、いや~、よかったよ!あははは」。

他方、子供たちは「ふーん」程度のものでしょう。

「魔法少女もの」に対する先入見が異なるがゆえに、解釈も異なった、
そして面白かったり、そうでもなかったりしたんじゃないかと思います。


■そして、タコつぼ化
果たして監督の意図がどういうところにあったかはわかりませんし、
わたしの場合、実は、それほど重要視もしていません。

ですが、この先入見の違いをあぶり出す、
『まどマギ』は、非常に現代的な問題提起をしているのではないかと思っています。

こんなに一般的であろうと思われた「魔法少女もの」ですら、
共通の先入見として成り立っていないのです。
いわんや、別の「○○もの」においてをや。

ちょっと話が飛びますが、
20年前の男子小学生は、ほぼ『ドラゴンボール』を見ていたでしょう。
40年前の『紅白歌合戦』なんて、本当に「みんな」に近いでしょう。

娯楽が少なかったからだとか言われたりします。
ただ少なくとも、インターネットが登場して以降、
「情報の氾濫」という言葉は実に実感しやすいものになりました。

どんな情報に接するかを、わたしたちが選ぶことになったからです。
そして、わたしたちはバラバラになりました。

わたしは今、アニメをよく見ます。
このGWのアニメ視聴時間は、
わたしの10年前から5年前までのアニメ視聴時間の総計を超えるでしょう。
わたしは、全く新たなタコつぼに入りました。

わたしが、アニメに費やした時間を、
あなたは、別の何かに費やしたことでしょう。
(ここまで読んでいるとすると、残念ながら同じように……)

このタコつぼ化を鮮やかにあぶり出したのが、『まどマギ』です。
一部の熱狂的なファンと、醒めた視聴者。視界に入っても3秒で忘れるマジョリティ。

もう後戻りはできないでしょう。
こうして、わたしたちはどんどんバラバラになっていくのです。
(たぶん、生活に支障が出ない程度まで。)

もしかすると、わたしの好きなタイプのアニメを好きな人は少ないかもしれません。
そうなると、アニメをつくっても収益がでないと判断され、
わたしは欲求不満になってしまうんじゃないでしょうか。
この時代にどう関わればいいんでしょうか。


■アニメのためのアニメ、芸術のための芸術
一旦、この疑問は措いておいて。

さて、『まどマギ』に対して、
こういう先入見が共通するコミュニティを意識した作品である、
という見方が許されるのであれば、
まるで「芸術のための芸術」であるようにも見えてきます。

もともとは、芸術であるならば、道徳的だとか実用的だとかいう評価はどうでもいい、
「芸術」を探求していることそれ自体に価値がある、というようなことを主張する標語です。

『まどマギ』は、「魔法少女もの」を探求し、
新たな段階に押し上げた作品であり、それ自体に価値があるとも言えます。

ただ、わたしにとっては、
偶然にも、わたしが面白いと感じる分野だったから、価値がある。
不遜にも、わたしはどこまでも「わたし基準」でものごとをはかります。

であるならば、
わたしは、いろんな人とコミュニケーションを取るべきであり、
いろんな人同士でコミュニケーションを取ってもらうべきである。

だって、コミュニケーションを取れば、
わずかであっても、その相手と共有するものが増えるから、
感覚も似てきて、面白いと思うものも似てくる。

そうなればしめたもので、
わたしが楽しめるアニメがごんごん増産されるのである!
わっはっはー!楽しみだなー!



……かくて、一人でアニメを楽しみたいわたしは、
楽しむために一人にならない、
という矛盾した状況におかれたわけである。

『まどマギ』恐るべし。



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  1. 2011/05/10(火) 21:47:32|
  2. アニメについて
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