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映画『Seven/Se7en(セブン)』の感想・批評・レビュー・考察

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映画『Seven/Se7en(セブン)』の感想・批評・レビュー・考察
wiki http://p.tl/FUfc
監督:デヴィッド・フィンチャー
脚本:アンドリュー・ケヴィン・ウォーカー
出演者:ブラッド・ピット、モーガン・フリーマン
公開:1996年(アメリカ1995年)

セブン



『セブン』は、残酷な描写と救いのない結末で、相当の話題作でございました。
加えて、ブラッド・ピットや、グウィネス・パルトローという当時旬の配役であったことも手伝い、
興行的にも成功した作品でございます。

とある事情でもう一度見直すこととなりました。

演出についても語りたいのですけれど、
半可通の手始めにしては大物過ぎるので、ストーリーについてだけ触れて参ります。
とくに注目したい点、それは一言で申し上げると、「日常的な罪」です。



スレイヤー/Slayerが、Minor threatか誰かのカバーで、
slayer.jpeg
"Guilty of being white"と歌ったとき、「なるほどね」と思ったものですが、
わたしたちそれぞれ、個人としては罪の意識がないものの、
わたしたちが今、ここにいることができる、その過程で、
他人を踏みつけにしている、これが罪になりうる、ということに気付いたのです。

もちろん、歌自体はそんな意図じゃないと思います。
英語がわかるわけではありませんので、感覚ですが、
白人側から、「そんなこと言われても昔の話だろ!おれ個人にどうしろって言うんだよ!」的な、
逆ギレだったように思います。

歴史の見方としては重要な一側面を教わったと思いますが、もちろんそこから逆ギレするわけではありません。
なぜなら、その逆ギレは、結局「おれ個人のせいじゃない!」と仰っているだけであって、
その個人主義を認めてしまえば、たしかに父親や祖父のやったことは不問になりえますが、
今、アフリカの人々から間接的に搾取している「おれ個人」がいることは否定できないからです。


『セブン』において、実はこれが主題だったのではないかと思うのです。
粗筋を紹介します。


飛び抜けた肥満体の男が死んだ。この事件を担当することになった、定年退職を1週間後に控えるサマセット刑事。そこに、勝ち気で純粋だがまだ未熟さの残るミルズ刑事がやってくる。二人はぎくしゃくしながらも事件の捜査を進め、サマセットは「七つの大罪」がモチーフの連続殺人事件であることを看破する。しかし、捜査が犯人にたどり着きかけて逃し、五つの殺人までが遂行される。そのタイミングで犯人が自首。すでに残る二つの死体はできており、サマセットとミルズだけありかを教えるという。犯人に従って、ともに郊外へと同道するうちに、その意図が明らかになる。犯人がミルズの平凡な過程に「嫉妬」し、ミルズの妻であるトレーシーを殺害。ミルズを「憤怒」させ、自分を殺させることで計画が完遂されるのである。



ここで注目すべきは、
このあまりに猟奇的な事件を起こした理由が、普通の人々の犯す些細な罪であった、ということであり、
つまり、この事件は、わたしたち自身の罪を暴くための道具に過ぎなかった、ということでございます。

映画の始めから悟ったかのような常識人であるサマセット。
彼の役割は、主人公ミルズの人生の先輩である。
父親的な役回りと言ってよいでしょう。

それに対し、猟奇的殺人を行った”異常な”人物ジョン・ドウ。
彼は、行動だけ見れば、”精神異常者”としか見えないが、
実のところ、彼の筋道だった殺人の動機を聞くにつけ、
世界観がサマセットと同じであることが明らかになります。

サマセットは、「こんなひどい世の中に子どもを?」と自問したことを明かし、
ジョンは、「普通の人々の罪。われわれはそれを許している。
それが日常的で些細なことだから。朝から晩まで許している。だが、もう許されぬ。」と語ったのです。


思い返せば映画の中で、ことあるごとに写し出される、小悪党ども、
それは、仕事中にポーカーに興じる警備員であり、
ミルズ夫妻に地下鉄で揺れる物件だと伝えなかった不動産屋であり、
情報を売るFBIのメンバーであり、そしてそれだけでなく、
その情報を買うサマセット、令状なしの操作に虚偽の報告をさせるミルズでもあるのです。

正義感の強い役所のミルズですら、
手続き的正義をないがしろにしてしまっている描写。
これはどこにでもある罪を端的に示しているでしょう。

そしてそれよりも身近に感じられるのは、大事件になってしまった七つの大罪です。
「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憂鬱」、「憤怒」、「怠惰」、「虚飾」、「傲慢」。
とても身近な罪。
703px-Hieronymus_Bosch-_The_Seven_Deadly_Sins_and_the_Four_Last_Things.jpg

日常に潜むわたしたち自身を、とが人として告発しているのです。


わたしたちは、日常的に罪を犯している。
キリスト教的な原罪とはまったく異なる意味ではありますが、
原罪と同じように、わたしたちほぼ全員が負っている罪。
ものごころついたときには片棒を担がされていた事実。

経済的な暴力といっていいでしょう。

資本主義が内包する、帝国主義的側面、
つまり市場を求めての他国の蹂躙、といってしまうと大げさすぎますが、
日本人が今日のように豊かな生活を送れているのは、
わたしたちの基準で言えば法外に安い労働力を、
他国が提供してくれているからである、ということは、間違いありません。

市場原理としては、
彼らが、安い対価で労働力を提供していることも、次第にバランスが取れていくはずですが、
国際的には、「神の見えざる手」は機能しません。

当たり前のことですが、各国毎に規則が異なるため、対等の競走ができないからです。

この事実に関して、「仕方ないんじゃない」とは思えないのです。
これを放っておくのは、行為しないことによる、暴力ではないでしょうか。

もし、建前として平等を唱えようとする日本人がいた場合、
ここのところで日々暴力を振るっていることをどう思うか聞いてみたいと思うのです。




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  1. 2012/08/18(土) 17:15:29|
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