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なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

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世界の秘密1 道徳のウソ

わたしは少しずつ考え方が変わってきた。



まず、きっかけとなったのは、

いつだったか、憲法関連だったと思うが、こんな趣旨の文章を読んだことだ。

すなわち、なぜ憲法が平等を規定しているかというと、

世の中が不平等だからである、という趣旨だ。

「できてへんから、やれっちゅうとんねん!できとったら、いわへんわ!」ということだ。



はっとした。

正直に言えば、なんでこんな当然のことに気付かなかったんだろう、と思った。

「何でそんなひどいことできるんだ!敵だというだけで……。同じ人間じゃないか!」みたいなことを

いろんなところで見たり聞いたりする。(ええそうです、『ガンダムseed destiny』です。)

こんな恥ずかしい言い方するかしないか、というだけの違いで、

言ってることは、「あなたもあの人も同じ」ということだ。

でも、これって世の中を素直に見てない。自分好みに歪めて見ているだけだ。



素直に、フラットに世の中を見渡すと、

なんとブルータルなことか。

というか、このフラットな状態をブルータルだと思ってしまう、平和ボケした自分にびっくりした。



そうなんだ、世の中って言うのは、激烈に生存競争の場なのだ。(ええそうです、志々雄真実です。)

わたしたちは、親とも友達とも競合してしまっていて、生死を賭けて闘わなければならないのだ。

もっと率直に言えば、殺し合わなくてはならないのだ。

さらに言えば、今この瞬間も、これまでも、これからも殺し合っているのだ。



これがたどり着いた結論だが、一足飛びに書いてしまったので、わかりにくくて申し訳ない。



鍵になるのは、規範である。

規範は、「xすべきだ」と表される、何かを促したり、評価したりする言葉である。

道徳的なものいいは、すべて規範である。

曰く、「人を殺してはいけない」「ものを盗んではいけない」。

これと同じように、あるいはこれを根拠づける規範として、

人間はすべて平等に扱わなければならない、差別してはいけない、

という規範が主張されているのだ。



これが意味するのは、まず、人間が差別されて扱われている、という事実である。

そして、差別されて扱われると困ることがある、という評価である。

困るのは誰かが難しいが、基本的には自分が困るのであり、

「わたしが困るので、他の人を差別して扱わないでほしい」と言っているのである。

(難しい部分は、利他的な行為も、利他的な行為ができる自分でありたい

という利己的な動機から来ているのではないか、と言われれば、その通りだからである。)



なぜ困るかというと、未来の見通しが立ちづらいからである。

プラス方向で差別(優遇)されるのであればまだしも、マイナス方向で差別されれば、生きていきがたい。

どの程度の差別を受けるのか、程度をいくつかのレベルで区別して対策を練っておくというのもしんどい。

それならいっそ、プラス方向の差別も諦めて、差別されない状況の方が

未来の見通しが立ち、総合的には生きていきやすい。



だから、差別をやめ、人間を平等に扱おうと主張する人間がいるのだ。

したがって、この主張も、主張する人間が生き延びるための作戦に過ぎない。

平等の規範だけではない。

すべての規範がこれと同じ説明を適用でき、規範を主張するものの生存戦略に過ぎない。

(『輪るピングドラム』でいう生存戦略も、こう解釈できるが、

これをやってしまうと「愛ですら生存戦略である」というあんまりウケそうにない解釈になる)



それゆえに、「親孝行をしましょう」とか「努力、友情、勝利」とかっていうのは、

それらを規範として、みんなが従うことで、主張する人が生きやすくなるのである。



こうして、結論にたどり着く。

今、この瞬間も、わたしたちは自分が最も生きやすくなるように、他人に強いているのである。

たしかに、親や友達が長生きしてくれるように望むかもしれないが、

それによって自分が生きやすくなるからである。



だが、このような反論がありうる。

「キリストのように、自己犠牲を行う人間が現れるのはなぜか」と。

理由は、そっちの方がかっこいいと思ったからだろう。

ここには、自分の生命よりも、利他的な理想を大事にする姿勢が見える。

これが超レアケースであることは措いておいても、これは認めざるを得ない。


しかし、これは「生きやすくして、何をしたいのか」という人生の目的のようなものである。

つまり、「平等」というのは手段に過ぎない。

平等は道具だ。これで生きやすくなる。

生きやすくなって、何をするのか、はそれぞれの人に委ねられる。

もしかすると、端的に欲望を充たすために生きる人もいるだろう。

それは事実だ。

実際に誰かの性欲を満たしやすくするために、平等が使われて”も”いるのだ。



だから、簡単に平等は捨てられる。

いじめで気持ちよくなっちゃう中学生は、気持ちよくなりたいのだから、

ちょっとぐらい平等というみんなの道具が傷ついて、使い出が悪くなっても構わない。

この「ちょっとぐらい」が問題なのだが、中学生がこのような行動をとったときに、

そこの解釈は、なぜ平等が必要かを説明できるかどうかにかかっている。



これがわたしの持っている世界観の一要素である。




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  1. 2012/08/01(水) 10:08:51|
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