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なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

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『機動戦士Ζガンダム』の感想・批評・レビュー・考察

視聴アニメ一覧

『機動戦士Ζガンダム』の感想・批評・レビュー・考察
http://p.tl/vM7D
原作・総監督:富野由悠季
キャラクターデザイン:安彦良和
メカニカルデザイン:大河原邦男、藤田一己
音楽:三枝成章
放送期間:1985年3月2日 - 1986年2月22日


やっとテレビ版を全話見終えることができた。

というわけで、
『機動戦士ガンダム』(ファーストガンダム)に続き、Zガンダムについて見ていきたい。
やはりポイントとしては、ファーストガンダムとの比較となる。

関東地区の平均視聴率6.4%、最高視聴率は11.7%。
ファーストの再放送では平均視聴率が10%を超えていたことと比べると、
(時代背景の変化を考えれば、単純比較はできないが)
やはり人気のかげりを隠せないといってよいだろう。
それでも、アニメ作品としては決して悪くない数字である。
初回放送時は振るわなかったとされるが、
82年の大ヒット作品『超時空要塞マクロス』のそれが平均6.4%である。

要はそこそこ売れたのだ。
問うべきは、この人気が、親の七光りよろしく、ファーストの続編だからなのか、
ゼータの新たな魅力があると見るべきか、という点である。

私は、残念ながら前者であると考える。
ゼータで新たに見られた要素は、マイナスに作用する方が大きかったと見ている。

ファーストとの共通点として指摘できるのは、
人間間の不和である。

異なる点としては、
複雑なプロット、粗野な作戦と精緻な小道具のアンバランスである。


■共通点
ファーストガンダムについてのエントリにおいて、
アムロの孤立を、自我の発見と重ねて見てきた。
ゼータにおいても、ファーストと同じように孤立を描いており、
複数の人間関係間に広く適用している。

シンタとクムのような小学生レベルのこどもはおいておいたにしても、
カツから、カミーユ、ファ、あたりの衝突の仕方はすさまじい。
もはや日本のアニメとはとても思えない衝突の量と質である。
しかも、あらゆる集団の中で、最も規律を重んじる軍において、
先輩だろうが、上官だろうが、敵将校だろうが、正面衝突する。

表面上でもこの有様であり、深い共感などは全く得られない。
カミーユとハマーンは、ニュータイプ同士で共感を得られそうになったが結局それも成功していない。
互いにその意志がないまま、交信してしまったのだからさもありなん。
スクリーンショット 2012-08-19 22.05.35
分かり合えるのは、たいてい死ぬ瞬間かそれ以降である。
レコア、フォウ、ロザミア、サラなどがそうである。
それすら、カミーユが一方的に幻影を見ているだけであり、いいようにイメージしただけとも言いうる。
そう解釈する場合、この描写は、人間は決して分かり合えない、ということを痛烈に暗示する。

ゼータにおける基本的な人間関係は、
心を通い合わすことができずに、
すれ違って、自分のすぐ近くまでしか視野が及ばず、
感情をぶつけ合う、というものである。
ファーストから変わらぬ人間関係の不和は健在である。

ブライトやクワトロなどは比較的これに巻き込まれる大人の役回りであるが、
彼らは、孤独に甘んじている、あるいは心を通い合わすことを諦めたようにも見える。


あえてファーストとの違いを挙げれば、不和になる理由が不明確なことを指摘できる。
カミーユ一人をとってみても、心情を追っていくことが難しいことが多い。
たとえば第1話。名前が女のものだと言われたからといって、
いきなり見ず知らずの軍人(ジェリド)に殴り掛かるだろうか。
そして、そのせいで捕まって殴られた腹いせに、世界最強クラスの兵器ガンダムを奪って脅す。
どういう神経をしているかわからない。

視聴者からすれば、理由の分からない行為ほど眠くなるものはない。



■異なる点
・複雑なプロット
概ね、このような人間関係を不和中心に描く手法はファーストガンダムと通じている。
しかし、ファーストと違って、人間関係の不和にメリハリがなく、
平坦に描かれてしまっている点が特徴的である。

埋もれる原因1
ファーストではアムロの能力の高さが、人間関係をこじれさせる重要なファクターになっていたが、
ゼータでは、総合的にはカミーユより上のパイロットとしてクワトロが準主役であるため、
圧倒的能力の主役、というポジションは確立されていない。
ゆえに、人間関係の特殊性は薄れる。
ニュータイプも、カミーユ程の水準でなければ、ごろごろしている。
そのため、戦闘における役回りもアムロよりは平準化される。
これも一つ、プロットが複雑になる原因である。
もし、アムロのように圧倒的な強さになれば、プロットもシンプルにならざるをえない。

埋もれる原因2
そして、登場人物の量とグループ、グループ間の移動が多いこと。
そもそも連邦軍、ティターンズ、エゥーゴの関係について、まとめて説明されることがない。
しかも、思わせぶりな表現が多く、初見では意味が広がり過ぎて分かりにくい。
たとえば、エゥーゴ側からティターンズに対し、
「重力に魂を引かれた」という表現がよく使われるが、何のことはない、
地球から強制移住させられてスペースコロニーに追いやられた人々が、
地球に残ったエリートを揶揄しているだけなのだ。
付帯する意味があるとしても、
「ニュータイプ」への目覚めを用意する宇宙での生活をコロニーの0.8Gで象徴的に表し、
地球の人々を”重力に引かれた”と表現しているのみである。
こんな迂遠な表現が、ののしりの言葉としての役割しか持たないのだから、混乱させられる。
どう考えても格好つけ過ぎである。

しかも、クワトロ、レコア、シロッコあたりは所属集団とはまた別の個人的な考えがほのめかされる。
見逃せばおしまいのアニメだけしかフォローしていない人がついていけるわけがない。


埋もれる原因3
一方、細かなエピソードが本筋と絡みが薄い割に時間を取る。
エピソードというよりも、MSでの戦闘といったほうがよいだろうか。
これほど頻繁に出撃できるなんて兵站や整備は尋常ではない。
それは措いておいたとしても、
一つ一つの命をかけた戦闘がどんどん緊張感を失っていき、
毎回のように現れる新型MSに食傷気味になっていく。
(ガンプラを売らなければならないのだろうが)


これらによりプロットがやたらと複雑になっている。


・粗野な作戦と精緻な小道具のアンバランス
だんだん作戦が作戦と呼べないレベルのものになってきている。
とくにひどいのは、第44話でハマーンがジャミトフに青酸ガスで脅しを掛けるシーンである。
ゼダンの門にアクシズをぶつけることになるのだが、
ジャミトフ暗殺を狙うなら、しゃべっている間に銃で撃つなり何なりできたろう。
ああなっては、何のためにものすごい危険を冒してハマーンがゼダンの門にきたのか皆目分からない。

メカニックデザインが精緻になり、設定が練られ、
プロットが複雑になっていくなかで、
このチープさはひときわ目立つ。

吹っ切れたおバカ作戦を敢行した『創聖のアクエリオン』は、このバランスがうまかった。


ニュータイプ概念により焦点が当てられ、
その能力によって「認識力の拡大」だけでなく、バリアーすらはれるようになる。
またニュータイプから広がって、
強化人間や、ニュータイプ専用MS、専用のサイコミュなどが生まれている。

こうして科学力がやたらと高まっている一方で、やっぱり作戦はお粗末である。
馬鹿の一つ覚えのように、毒ガス作戦が唱えられる。
こんな非人道的な作戦を、見せしめ目的でやらかせば、
敵も味方も第三勢力も離れていくことは明らかである。


粗野な作戦と精緻な小道具のアンバランスが、作品のリアリティを損なわせ、視聴者を醒めさせるのである。
残念ながらゼータは、ファーストのように、
アニメの世界に革新をもたらすことはできなかった。
ゼータの人気はファーストありきのものである。







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  1. 2012/07/28(土) 15:54:00|
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