半歩踏み込むアニメ批評!

なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

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『地球少女アルジュナ』の感想・批評・レビュー

視聴アニメ一覧

『地球少女アルジュナ』
http://p.tl/gsKV
原作・監督:河森正治
シリーズ構成:大野木寛

BCBA-0915.jpg
http://dbeat.bandaivisual.co.jp/arjuna/


■ファーストフードへの反逆?
これはですね、マクドナルドが食べられなくなるアニメですね。
エンターテインメント性、いわゆる「面白み」に欠けますが、
生命の描写が素晴らしい。

そして、何より「ファーストフードとかってよくない」、
というような主張の仕方について参考になるポイントがある。

よく、「人工的なものなんてダメだよ、天然のものじゃないと」みたいなことを言う人がいる。
そうなると、人工と自然の境界を決めなければならなくなる。
人がちょっとでも関わっていれば人工になってしまうのか、
あるいは、人だってもとは自然なんだからちょっとぐらい関わっていても自然なのか。

これについて定義を提案できるポイントがあるのではないかと思うのである。
すなわち、社会通念上、違和感を感じれば「人工」側で、感じなければ「自然」側。
それでは人工/自然の定義について確認しよう。


■気持ち悪くなる食べ物
このアニメでは、とりわけ「食」がフォーカスされるが、
ブロイラーとか農薬とかをおとしめる描写も濃いので、
描写だけで気持ち悪くなる。

描写の仕方自体も、もちろん気持ち悪くなるように表現されている、
ということもあるけど、その内実(ブロイラー自体)にそう感じる要素が多分に含まれている。

結局、わたしたちが気持ち悪くなるぐらいのことをやっちゃだめよって主張しているのだが、
それを見る側は、気持ち悪くなっている自分を発見することで、
歴史的文化的存在としての自分が立ち現れてくる。
(農薬を見て気持ち悪く感じるのは、農薬が体に悪いと”教えられて”きたから)

■気持ち悪い/ふつう
そこがポイントかもしれない。
つまり、わたしたちの感情は、育ってきた環境でつくられている、ということ。

だからこそ情報の隠蔽はダメだ。
たしかに、「遺伝子組み換え食物でも、体に悪くなければいいんじゃない」ということは将来いえるかもしれん。
しかし、もしその過程で密かに食べ物に遺伝子組み換え食物が混入されていて、
「実際食べてるけど大丈夫だったでしょ!?」なんていうのは、手続きが間違っている。
終わりよければ、なんてことにはならん。

真っ正面から、おそるおそるチャレンジして「どうやら大丈夫らしい」となって、
「じゃあ、食べていこうか」というようにするべきなんだろう。
情報が開示されることで、わたしたちは遺伝子組み換え食物も大丈夫らしいと克服していくのだ。

もし、そういう手続きを踏んで、遺伝子組み換え食物が受け入れられていけば、
わたしたちは、遺伝子組み換え食物がどうつくられたかという描写を見せられても、
気持ち悪くなったりはしない。
(妙に加工されていなければ。)


■いま、「自然」なこと
その意味では、わたしたちはすでに間違っている。
すでにわたしたちは、牛が屠殺されるシーンから顔を背けていて、
そのシーンを直視するときっと気持ちが悪くなる。
見慣れていないから。わたしたちにとって非日常で自然じゃないから。
そんなやり方は間違っていたのだ。

つねに情報にさらされる状況をつくる。
そしてだんだんと受け入れる。
すると、「自然」になる。

これでやっと、
「やっぱり『自然』じゃないとね。」




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  1. 2011/12/06(火) 08:21:32|
  2. アニメについて
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
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