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なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

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世界の秘密4 教育

教育について書きたいと思う。

きっかけは、
アニメの『新世界より』が教育に踏み込んでいきそうだったのと、
ちょうど自殺予防のための教育の報道をNHKのニュース番組で見たこと。

これまで、気に入らなかったことを書いてみたい。
すごくシンプルなことだ。

教育と言われていることには、伝え方が2種類あると思う。
・通説として伝える
・正しいこととして信じさせる


このうち、後者の「信じさせる」が気に入らない。
やめてほしい。

これがあるから、道徳教育などという言葉ができるのだ。
わたしは、道徳という科目自体が不要だと思う。

社会のメンバーとして、役立つように子どもを洗脳したいのであるから、
その意図を子どもに明らかにすべきだと思う。

洗脳というと穏当でない表現になるが、
そのぐらい強く言わなければ、気付いてもらえないと思う。
道徳として、善悪を教え込むことで、どれだけその子どもが善悪に苦しむことになるか。
大人は、のど元過ぎれば熱さを忘る、というやつで慣れてしまっているから、流せるのだ。

だいたい、自殺だって、自分が教えられた善の規格に当てはまらないことを苦にして起こるのではないだろうか。
誰だって、一度ぐらいは自殺を考えたことがあるだろうけれど、
その時の理由は、いじめられたり、愛を失ったりで、自分に価値を見出せなくなったからではないだろうか。

その自分の価値というのは、つまり教え込まれた善さを自分が備えていなかったということだ。

わたしたちは、心理として、「これが正しい」と信じ続けていると、
感情が連動するようにできている。
だから、もちろん、自分が信じている善さを備えていないとなれば、悲しみを覚える。

なんと不幸なことか。

確かにこれはマイナス面を捉えただけのことである。
逆に、わたしたちの喜びも、教え込まれた価値観に連動しているのである。
だが、それも幻想だ。

教育は、そんな幻想を植え込む手助けをするべきではない。

長じてくれば、わたしたちの善悪が根拠のないものだ、ということには自然と勘づくし、
ニーチェでも、ヴィトゲンシュタインでも、ソシュールでも、
影響力を持ちまくった彼らの後継者達でもいいが、はっきりと言葉に残している人もいる。


ニーチェなどは、そうやって既存の価値観(キリスト教)を破壊し尽くして、
その後に、新たな価値を打ち立てようとした(が、うまくいかなかったと思う)。

だが、そうやって苦しめばいいのではないだろうか。

そもそもが生きるのに有用であるかどうか以外に、
普遍的な基準などないのである。

それ以上に重要なことは自らが、必要だと思うなら、創り出すしかない。

だから、教育も、そうあってほしい。
「挨拶をする」、「人を殺さない」、というようなことは、
生き延びるために有用である、便利であるというだけの意味で伝えてほしい。

それは、1+1=2というルールをつくると生活に役立つ、
酸素と水素で水ができている、と設定してみると生活に役立つ、というのと変わらない。


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  1. 2012/10/21(日) 20:22:22|
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