半歩踏み込むアニメ批評!

なぜ、そのアニメは「面白い」のか!?

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

『ファンタジックチルドレン』の感想・評価

視聴アニメ一覧

『ファンタジックチルドレン』
http://p.tl/Iyh7
監督:なかむらたかし


fantasticchildren.jpg
http://www.nippon-animation.co.jp/f-children/


よくアニメ通の人からは、”地味な名作”として紹介されることの多い本作。
全26話を視聴しました。
新奇性はありませんが、格調高いアニメです。


前半は、話のテンポが緩く、面白くはありません。
しかも、絵は”世界名作劇場”なので、なおさら緊張感を欠きます。

しかし、その後の流れには引き込まれます。
はじまりは、緩いファンタジーですが、
ストーリーが進むに連れ、科学的な設定があらわになっていき、
いつの間にやら”謎解き”になっているのです。

この作品の面白さの一つはは、「ミスリーディング」にあります。
べフォールの子供たちの立場。
トーマと、ソランの少年時代。
(その辺りの演出はうまいのですが、モブキャラが次々に死んでいくのは無視させておいて、
主要キャラの生死にだけ感情昂ぶらせられるのには閉口します。
あと、空飛ぶ円盤つくれて、剣と鎧で戦うとかも残念ですね。 )

瑣末な点は措いておいて、
この作品でテーマを考えてみると、
良さそうなのは、「罪との対峙」と「故郷」です。
(罪は過去におかしたものですが、過去といっても、この作品では輪廻転生があります。
 ただ、作品中の扱いを見るに、
 前世は、わたしたちが普通に感じている過去と何ら変わりないようです。)

罪との対峙


罪との折り合いをどうつけるか、ということでは、
結局、受け止めるか、忘れるかしかありません。

べフォールの子供たち=ギリシアの科学者たち
本作には、始めから終りまで登場し、全編の軸となる存在として、べフォールの子供たち=ギリシアの科学者たちがいます。
彼らは、過去の過ちを各人各様に受け止めます。

彼らは、ティナ復活によって、贖罪とギリシアへの帰還が得られます。
ギリシアへの帰還が色濃いヒースマと今生の居心地の良い生をとったパルザは、
正反対のようで、実は、自分の欲望を贖罪よりも優先させている点では同じです。

たとえ、彼らが行ったティナ転生が、脅迫された上でのことだとしても、彼らはその罪を逃れられません。
なぜなら、私たちはきっと「脅迫されても『死んでも嫌だ!』って言えないものかね〜」と思ってしまうからです。
事態は、きわめて深刻なのです。
やはり、ギリシアの科学者達は、自己を犠牲にできなかったという罪を背負っていることになります。

ギリシアの価値観がどうなっているかは分かりませんが、
私たちと同じとすると、各人で濃淡があるにせよ罪を負ってしまうのです。

さて、彼らの贖罪の旅ですが、
途中まで、彼らの考えはティナ復活で統一されていました。
それで、ティナへの贖罪にもなるし、ギリシアへも帰れると思っていたのです。
しかし、転生先で別の人生があり、その人生の重みとティナの人生の重みを比較しなければならないこと、
を知りませんでした。
自分たちが強い目的意識の上で、転生を繰り返してきたためでしょう。

贖罪は、ティナに再び選択肢を与えることで果たされます。
ティナの記憶をもつヘルガが、転生を拒み、科学者たちの旅は終わりました。

ただ、兵器ティナをして虐殺せしめたことについては、もうちょっと悩んでくれてもよいと思います。

ティナ=ヘルガ
当の本人であるティナ=ヘルガは、爆殺されて蘇らされ、挙句地球に転生された悲劇のヒロインです。
特段迷う描写もなく、王女ティナではなく、みすぼらしい孤児ヘルガとして人生を全うすることを決意します。
「ヘルガを殺す」ことへの違和感、それはヘルガとして出会った人々やものごとを捨てることへの違和感があったのでしょう。

ここでは、一見したところ、現代では考えたことのない問題が発生します。
つまり、一人の人間が、二つの人生を選択できてしまうことです。
そして、その二つの人生にはそれぞれに固有の過去があります。
ティナを待っている人もいれば、ヘルガを待っている人もいます。
ティナをとれば、クリスティーナもセレスティーナもヘルガも道具です。
ヘルガをとれば、ティナのために活動してきた人々の望みは潰えます。(愛娘としても、兵器としても)

しかし、既にティナはいわば脳死ならぬ魂死状態で、ヘルガは生きているという状況が前提であります。
今、生きているヘルガを殺してまで、死んでしまったティナを蘇らせたいという思いは、
死を受け入れられない弱さ、過去を受け止められない弱さからくる、という考えがあるのでしょう。
ヘルガに、王女ティナに戻ることへの執着は見られませんでした。


ティナを復活させないことへの罪の意識も見られなければ、
オエセルによる虐殺への韜晦も見られず、
セスを捨てたことにも、それほど悩んでいないようでした。


どういう行為がどの程度の罪なのか、とても冷静に理解し、
結果おおごとになったことについては自分の罪ではないと信じることができていたのか、

それとも、心のコントロールが非常にうまく、
「こういう行為は罪である」などという規範は、社会のルールであるだけで、
たしかに尊重はするが、心に傷を受ける必要はない、とやりすごせたのか。
いずれにせよ、タフなメンタルで罪の意識を乗り越えた人物でした。

わたしたちも見習えるといい瞬間があるかもしれません。

たしかに、ヘルガのように、二つの人生を選ぶ、などということは普通ありません。
ですが実は、わたしたちにも、すごく近い経験があります。
たとえば、進路を決めるとき。
ロックバンドでメジャーデビューを目指すのか、受験していい学校に入るのか。
いじめられている子どもが、「そろそろキレてやろうか」と考える瞬間もそうです。
自覚しようと努めて見れば、
次の行動によって、未来の自分が決まる、という選択はけっこうあります。
そして、未来の自分を喜んでくれる人もいれば、いやがる人もいて、
それはまさしく、ティナになるかヘルガでいるか、という選択とパラレルな関係にあります。

こんなときは、ヘルガ風にタフになりたいものです。



トーマ=セス
一方、トーマ=セスは、弱い。
嫉妬にかられソランを殺し、妄念の余り転生まで果たす。
彼が、セスを振り切って、トーマとしての人生を取り戻せたことは、
奇跡的なことです。

ソラン
ソランに至っては、ほぼ罪を犯していない。
ゆえに、物語の中心にいながら、ほぼ登場しません。

デュマ
デュマは、一般的に見れば歪んでいるため(あの扱いじゃ歪みます)、
自分の愛した母とまだ見ぬ姉への想いにとらわれ、
罪の観念がないようにも見えました。


時代を超えたテーマですから、「名作」の所以かと存じます。


故郷


この作品では、人々の間での愛憎が様々に描かれます。
とくに閻魔。情を刺激して元に戻らせる、というのは面白いアイディアです。

人々の間では当然生じる情ですが、
故郷の美しさは、本作の隠れたテーマかと感じています。
どこを切っても、故郷が出てきますし、やたらと背景に手が込んでいる。
2004年にあの古くさいキャラクターデザインというのも勘繰りたくなります。

ふるさとは遠きにありて思ふもの。
それを地で行った感があります。

こういう描写は、はっきりいって若いと理解できません。
たぶん、私も、もっと年を重ねると、より強く感じるようになるでしょう。
冒険活劇にこういう要素を入れることが、長く愛されることにもつながります。
全年齢対象ですね。



英語をよく眺めて来たので、ファンタ"ジック"に違和感があったが、
どうやら英語での題名はfantasticとのこと。
なぜ、ファンタ"ジック"にしたんだろう?
ご存知の方は、ご教示下さいませ。



■関連項目
『千と千尋の神隠し』、顔なし
世界名作劇場、なかむらたかし
『ぼくの地球を守って』、輪廻転生
『マクロス』、巨大な異星人、ゼントラーディ
ヘルマン・ヘッセ『デミアン』
『攻殻機動隊』、オリガoriga




スポンサーサイト
  1. 2011/05/03(火) 22:04:22|
  2. アニメについて
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<『おおきく振りかぶって』の感想・評価 | ホーム |

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://aufnirwana.blog27.fc2.com/tb.php/1-7c3a9d46
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。